『いい年して、デートしたこともないのか――』
職場の同僚であり上司でもある叔父の、どこか呆れたような顔がちらつく。
家族経営をしている小さな工場で工場長をしている叔父は、面倒見がよくて年の離れた兄のような存在だ。
人と話すことより、機械に向かって作業をしていることが好きな僕を、変わり者と思いながらも普段から何かと気にかけてくれる人だった。
僕が話下手なこともあって、プライベートなことは年々話すこともなくなってきたが、休憩時間に僕がもうすぐ三十代になることが話題に上がると、僕のこの先の人生を心配するように、「いい人はいないのか?」と、珍しく異性に関する話題を振ってきた。
僕に彼女がいたことはないことは叔父も知っているだろうが、そもそも僕が女性とどう接したらいいか分からないレベルだということは、叔父もこの時になって初めて知ったようだった。
僕が女性に免疫がないと知ると、叔父は一瞬考えた後、「この間テレビで観たな」と、膝を打って立ち上がった。
そして、しばらくの間スマートフォンを操作して僕に差し出した画面が、【レンタル彼女PREMIUM】というサイトだった。
(あ、あの子かな……)
叔父に積極的なお膳立てをされて、言われるまま申し込みをした。
【レンタル彼女PREMIUM】に所属している好きな子とデートをできるという仕組みだったが、どんな女性がいいかを選ぶ基準も分からなかったので、中学生の時に好きだった子になんとなく雰囲気が似ていた水城咲さんに決めた。
叔父の指導のもと、待ち合わせたお台場に行くとサイトの写真で見た子がたたずんでいた。
遠目で見て、咲さんだということが分かる。
彼女はこちらに気づくと、「あっ」という顔をしてほほ笑んだ。
「やっと会えたね! イメージ通りでビックリしちゃった!」
申し込みをしてから、何度かメールのやり取りをしていたこともあって、彼女の中に僕のイメージができていたようだ。
スムーズに会えるように、服装も教え合っていたので、僕の服装を見てすぐに分かったらしい。
「っと……」
彼女の方から話しかけてくれたことにホッとしたものの、なんて言えばいいのか分からず、言葉に詰まった。
理想では、気の利いた言葉の一つや二つ出てくるのに……、こういうところがダメだって叔父から叱られそうだ。
途端にネガティブな感情が湧き上がってきて、自然と落ち込んで足元に目線が落ちる。
せっかく叔父が利用料金を払ってまで応援してくれたというのに、出だしから人の好意を無駄にしてしまいそうだった。
そんな僕の落ち込みをよそに、「今日はいい天気でよかったね!」と、彼女は空を仰いだ。
「ほら。ひこうき雲!」
僕の挙動不審など初めから気にしていないのか、シャツの袖を引っ張って空を指さす。
僕は指を指されるまま空を見上げると、真っ青な中に一筋だけ筆で刷いたような雲があった。
「こんなきれいな飛行機雲、はじめて~」
「……」
飛行機雲を初めて見たわけではない。
ただ、隣で同じものを見てこんなに感激している人がいると思うと、それほど珍しくないものでも、すごい価値があるように感じる。
ましてや、コンクリートのそっけない地面から見上げた先があまりにも鮮やかで、落ち込んでいたことも忘れて、その景色に見入ってしまった。
「うん。すごい……」
「やっとしゃべってくれた」
「え?」
「あまりしゃべるの得意じゃないのかな? 私も同じだから、緊張しなくて大丈夫だよ」
僕の気持ちを汲むように彼女は言った。
「えっと……、咲さんも、緊張しているの?」
「もちろん! 昨日の夜はあまり眠れなかったんだ」
「そうなんだ……」
「私、人見知りだったから、初対面って、今でも緊張しちゃうよー」
それまで人見知りは恥ずかしいと思っていた僕は、彼女が当たり前のように緊張すると言って、なんだか不安が吹き飛んだようだった。
そう言われてみれば、緊張することは人として特別おかしなことではないんだと、急に上向きになる。
「初対面が苦手な人でよかった。私と同じだと思うと安心する~」
「う、うん……」
こんな自分が相手で喜んでくれるなんて、なんだかウソのようだ。
「あれ、そんな風に考えちゃうのって、おかしいかな?」
僕の反応が鈍いからか、彼女は少し不安そうな顔をした。
「い、いや。僕も同じだから、分かるよ」
「よかったー」
心底ほっとしたような表情で、彼女ははにかんだ。
「じゃあ、そろそろ行こっ♪ 日本科学未来館だっけ?」
自分でも気づかずシャツの裾を握っていた僕の右手を引くように、彼女は歩き出した。
「未来とか名前につくと、ワクワクする~。宇宙とか好きなのかな?」
「あ、うん。今やってるエイリアン展に行きたくて……」
返事をしながら、もしかしたら彼女はこういうことに興味はないのかもと、初めて気づいた。
こうして当たり前のように、自分が行きたいところに付き合ってもらっているけれど、仕方なくついてきてくれているのかもしれない。
女性なんだし、よく考えたらこんなグロテスクなもの、普通は好きじゃないだろう。
今さらながら、彼女の好みを聞いておくべきだったと、そんな気の利かない自分自身にうんざりした。
「エイリアン!! 映画で観たよ。すっごい怖いんだけど、面白いよねっ」
「えっ、観たの?」
「うん、怖いけど。そういうの好きで、ついつい観ちゃうんだ」
「じゃあさ、『AVP』とかも観た?」
「あっ、観た観た~!!」
意外なことに話が盛り上がる。
自分の好きなことを話していいと分かると、さっきまでの緊張がウソのように言葉がすらすら出てくる。
デートって、単純に女性とどこかに行くことだと思っていたけれど、どこかに行くことが目的なわけじゃないんだなと、三十を目前にして初めて気づいた。
「楽しかったね!!」
「ホントに。咲さんもああいうの好きだと思わなかった」
「ずっと観てると怖くなっちゃうけどね、たまに見るとドキドキする~!」
自分が行きたくて出かけた日本科学未来館も、結果的には楽しんでもらえたようで安心した。
「この後は、お茶しようって言ってたよね」
時計を見ると、予約の時間が終了するまであと1時間ほど。
お茶をしたいと言ってはいたけれど、近くにそれらしいお店は見えなくて、なぜそういったことを調べておかなかったのか、今になって思う。
「私、近くにパンケーキがおいしいお店を知ってるから、そこにしない?」
「うん」
そして、男一人では絶対に来ないようなおしゃれなカフェで、男一人では絶対に食べないようなパンケーキを注文した。
「わーっ、可愛いっ!」
「可愛い?」
パンケーキを見て、「おいしそう」以外の感想が出てくるとは思わなかった。
「え、だって可愛くない? こんなにクリームがモコモコしてるよ!」
「あ、うん。可愛い……かも」
「同じパンケーキでも、プレーンなものより、クリームたくさんのほうが可愛くていいよね~」
「そ、そうだね」
咲さんがそうなのか、それとも女性がそうなのか分からないけれど、会話をしていると、僕の想像を超えたものが返ってくる。
そもそも人と会話をするのが苦手な僕は、その反応にビックリするが、それと同時に、何か心地よいとも感じている。
自分が感じたことを、素直に言葉にしてもおかしくないんだって思ったら、咲さんと話すこと、女性と話すことが何よりも楽しく感じた。
「もう時間だね」
予定していた時間も終わりに近づくと、彼女は残念そうにつぶやいた。
自分と別れることでこんなにがっかりしてくれるとは思わず、僕も別れが寂しい反面、そう言ってもらえることが少し嬉しい。
「今度はお茶じゃなくて、ご飯でもしようか」
僕の中から自然と出た言葉だった。
「えっ、ホントに? 嬉しいっ」
はじめはただ女の子と二人で会うものだと思っていたデートだけれど、たった数時間話をしただけで、女性に対する考えがこんなにも変わるなんて――。
本物の恋人を作ることは、僕にはまだまだハードルが高いけれど、彼女とデートを重ねることで、いずれは本物の彼女を作ることができそうな気がする。
それがいつになるか分からないけれど、その時まで、レンタルの恋をしていよう。
![]() |