「動物園に行こうよ!」
そう誘ってくれたのはなおみちゃんの方から。
でも、なおみちゃんとメッセージのやり取りをした時に、僕が生き物を好きだと言ったから、動物園に誘ってくれたんだろうなって思っている。
動物園デート、なおみちゃんも楽しんでくれるといいな。
緊張のあまり、待合せ場所の上野駅に着く。
「早かったね~!」 と、声をかけてくれたのはなおみちゃんだった。
「急に暑くなったね」
駆け寄った彼女は、当たり前のように僕の手を取る。
「動物園、もうちょっと先なんだ」
春風のような笑顔が誘う。
彼女と会ったらどんな言葉を掛けようとか、リードしなきゃとか考えていたのに、一言も発することができずに思わずうつむいた。
視界の隅でスカートの花柄が揺れる。
「動物は何が好き?」 と、なおみちゃん。
会ってからまだ何も言えていない僕の態度を気にしていないような、屈託のない口調だった。
「と、虎かな……」
「虎かぁ、カッコいいよねー。あ、もうゲート!」
なおみちゃんの指さした先には、上野動物園の入り口が。
「チケット……」
「うん、並ぼう、並ぼう」
率先してチケット売り場に並んでくれて、手続きをしてくれたのもなおみちゃんだった。
頑張ってリードしなくていいんだと思うと、肩の荷が下りたようにホッとする。
「カメとパンダ、どっちがいい?」
彼女が差し出したチケットには、ランダムに動物の写真がプリントされているようだった。
「カメかな……」
「じゃあ、私パンダね。上野といったらパンダだよね」
と、ゲートを入った先の壁画に描かれたパンダの真似をしておどけるなおみちゃん。
待合せしてから約 10 分。
ちゃんと話せるか心配していた僕をよそに、なおみちゃんは僕以上に動物園を楽しんでくれているようで安心する。
「もう見つけたよ、虎」
そう言って彼女が差し出したのは、売店で売っているぬいぐるみの虎。
そのぬいぐるみが可愛いなと思いつつも、どう反応したらいいか分からず、やっとのことで「うん」とだけ言う。
「あっ、ねえねえ」
と、まるで親しい仲のように、彼女は僕のシャツを引っ張る。
他人が見たら、まるで本物のカップルのようだ。
「ふたご!」
と、パンダのぬいぐるみを二つ持って、僕に見せて来る。
「問題です。上野動物園の双子のパンダの名前は?」
「……えっ?」
急に話を振られて、思わず思考がフリーズする。
「クイズだよ、クイズ。双子のパンダの名前知らない?」
「あっ、パンダは双子なんだ……」
「そこから説明しないとダメだったか!」
まるで失敗をした時のように、なおみちゃんは表情を歪める。
「シャオシャオとレイレイって言うんだよ」
そう言って、両手に持ったパンダのぬいぐるみを僕に向けて振って見せた。
こんな風に女の子と喋ったのはいつ以来だろう。
中学生の時にクラスの女子と喋った覚えはあるけれど、緊張してしまって、こんなに親しくは喋れなかった。
そういえば、あの頃に気になっていた女の子と、なおみちゃんは似ているかもしれない……。
「やっぱりぬいぐるみよりも本物がいいよね」
ちょうどエサの時間だったのか、虎は丸太のような大きさの骨をガリガリと貪っている。
「さすが、本物の虎! 野生的だね~」
「虎って、狩りがあまり得意じゃないんだよ」
「えーっ、意外!」
僕の披露する豆知識に、目をまん丸くしながら驚いたり関心したりして、ちゃんと聞いてくれる。
「見て、見て、世界一小さいゾウ!」
ゾウの檻の前に来ると、彼女は手のひらを差し出した。
遠近法のせいで、遠くにいるゾウがなおみちゃんの手の上にいるようにも見える。
「笑ってる」
僕の表情を見て、なおみちゃんは嬉しそうに言った。
「面白かった?」
「う、うん……」
少し気恥ずかしくなって小さく頷くと、彼女はふふっと笑った。
「次の動物はこれ、分かる?」
と、気をよくしたなおみちゃんは、次の檻にいる動物の真似をする。
「サル……?」
「ピンポーン、当たりです! もっと近くで見ようよ」
僕の手を引いて、サルが良く見える位置まで移動する。
「なになに、『クロシロエリマキキツネザル』……?
知ってる?」
「うーんと、絶滅危惧種じゃなかったかな」
「へぇ~、珍しいおサルさんなんだ」
「あとは、ボスがだいたいメスとか……」
「女が強いんだ! ボスはどれだろう」
と、檻の中のサルの群れをじーっと観察して、「あの子かな?」「この子かな?」と楽しんでいた。
次に向かった鳥の住むエリアでは、フクロウやコンドル、ハゲワシ等が生息している。
「ハゲワシってハゲてないんだね」
いかにも強そうな鳥を見て、なおみちゃんは感心したように言った。
「ねぇ、鳥の豆知識は?」と聞かれたから、披露をすることにする。
「ハゲてるというか、頭はフサフサしていないんだよね。動物の死骸に頭を突っ込んで肉を食べるから毛が邪魔になるでしょ」
「そういうことなんだ。本当によく知ってるねー」
感心したようななおみちゃんの声。
そんな風に言ってもらえることなど今までなくて、途端に恥ずかしさを感じる。
「いや、大したことないよ……」
「ううん、大したことあるよ。色々教えてもらえて楽しいもん」
弾むように言っては、僕の方に顔を向ける。
まさか、自分と一緒にいて楽しいと思ってもらえているとは――。
「あ……」
びっくりして言葉が出かかったけれど、何を話していいか分からず、次の言葉が続かない。
「え……っと、……アイス食べる?」
誤魔化すように言うと、「唐突にどうしたの?」といぶかしがりながらも、「食べよ、食べよ」と言って、アイスを売っている売店を地図で探してくれた。
――こういうのでいいんだ……。
デートだから何か話さなきゃとか思っていた僕だったけれど、実際にできることといったら、ぽつぽつ単語を発するだけで会話らしい会話はできていない。
けれども、なおみちゃんが上手く僕の言葉を拾ってくれて、ちゃんと会話へと繋げてくれる。
誰かと話している気持ちになるのは初めての事だった。
どこにでもある売店のアイスなのに、「いただきまーす」ってニコニコしながらおいしそうに食べてくれた。
デート初心者の僕には、気の利いたお店に行ったり、ち密な予定を立てるデートは難しいけれど、青空の下でこうしてアイスを一緒に食べるだけで十分だった。
「次は、クマを見に行こうよ!」
アイスを食べ終わると、なおみちゃんが言い出した。
近くにあったクマ舎は人気のエリアで、クマの銅像まである。
「うわー。大きい!」
水浴びをしている白クマを見て、なおみちゃんは驚いた顔をする。
「あ、このなぞなぞ知ってる?」
と、不意に思い出したようになおみちゃん。
「クマの毛を抜くと、ある動物になります。なーんだ」
「え……?」
困惑している僕に、「なぞなぞだよ」と言って笑う。
「分かった?」
「全然……」
突然のなぞなぞに頭がフリーズしているのもある、けれども、何度頭の中で問題を繰り返しても分からなかった。
「あ、カワウソもいるよー!」
よほどカワウソが可愛かったのか、彼女はコミカルに動くカワウソに釘付けだった。
なぞなぞのヒントをもらおうと思ったのに、ぼくもなおみちゃんももうなぞなぞのことはすっかり忘れて、カワウソに夢中になっていた。
「次はゴリラかな」
動物園の地図を広げながら、なおみちゃんが言う。
「かっこいいよね、ゴリラって」
僕もゴリラを楽しみにしていたから、なおみちゃんがカッコいいって言ってくれて嬉しい。
「ゴリラって、手話で人間と会話できるのもいるんだよ」
なおみちゃんに喜んでもらおうと、とっておきの豆知識を教える。
「えっ、どういうこと? 手話を覚えるところから始めるの?」
案の定、彼女は目を真ん丸にしてゴリラをじっと見つめた。
「うん、そう」
「ゴリラって頭いいんだね~」
僕の好きなゴリラを気に入ってもらえて、心が弾むような気分だった。
「可愛いけど、食べにくいね」 と彼女が言ったのは、パンダに似せたカレーだった。
けれども、「写真撮っちゃお」と言って、パンダカレーを色んな角度からスマホに収めている。
僕は普通のカレーにしたけれど、なおみちゃんはパンダのカレーにして良かったと心から思う。
「見て、見て」
自分でも納得のいく写真が撮れたみたいで、スマホの画面を僕に見せてくれた。
「あっ、答え分かった?」
と、唐突に思い出したようになおみちゃん。
「答え? 何?」
「クマの毛を抜いたら、何になる?」
白クマの檻の前で出されたなぞなぞだ。
「えっ、その問題まだ生きてるの!?」
今日一番大きな声を出して驚くと、なおみちゃんは楽しそうに笑った。
「よかった、緊張がほぐれたみたいね」
「あっ、そうかも……」
気づけば、なおみちゃんとも普通に会話ができている。
女性と二人でランチをするなんて、緊張するだろうと想像していたけれど、場所が動物園内のファストフード店 のせいか、中学生の頃の給食の時間が思い出されて自然に振る舞える。
デートってもっとカッコつけなきゃいけないものだと聞いていたのに、なおみちゃんの振る舞いのおかげで肩の力が抜けているようだ。
「好きなものに囲まれていると、リラックスできるよね」
「あの……、僕が動物が好きって言ったから?」
「そう、動物園だったら緊張しないかと思って。それとも、他にもっと好きなことあった?」
「え…と……」
少し言いにくそうに言葉を濁すと、「遠慮しないで教えて」となおみちゃん。
「動物も好きなんだけど、科学館みたいな場所も好きで……」
「えーっ、素敵だね。だったら次はお台場の科学未来館とかかな」
なおみちゃんの言葉に、二人で並んで展示物を眺める姿が思い浮かぶ。
うん、科学未来館デートも悪くない。
「ヒント、もらえるかな?」
「ヒント?」
「なぞなぞの……」
「あー!」と彼女は思い出したように言う。
そして、次の瞬間「ノーヒントです」と笑った。
「次のデートで、答え聞かせてね」と。
近いうちにもう一度、なおみちゃんとは会えるみたいだ。
それまでに、科学の知識をもっと仕入れておこう。